夜雲の下

夜雲の下

夜雲の下 榎南謙一 自動車が動揺すると 細引で縛られたまま 私たちの肩と肩とがごつんとあたる 争議は敗れた 送られる私たちは胸の苦汁をどうすることが出来たろう 「あちらでは吸えないんだぜ」 一本ずつもらった最後の煙草 言いようのない感慨とともに 蒼いけむりを腹の底までのみ でこぼこだらけの道路を揺られて行った ▶ 続きはこちら

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経世の学、また講究すべし

経世の学、また講究すべし

経世の学、また講究すべし 福沢諭吉 ある人いわく、慶応義塾の学則を一見し、その学風を伝聞しても、初学の輩はいはもっぱら物理学を教うるとのこと、我が輩のもっとも賛誉するところなれども、学生の年ようやく長じて、その上級に達する者へは、哲学・法学の大意、または政治・経済の書をも研究せしむるという。 そもそも義塾の生徒、その年長ずるというも、二十歳前後にして、二十五歳以上の者は稀なるべし。概してこれを弱冠じゃっかんの年齢といわざるをえず。たとい天稟てんぴんの才あるも、社会人事の経験に乏しきは、むろんにして、いわば無勘弁の少年と評するも不当に非ざるべし。この少年をして政治・経済の書を読ましむるは危険に非ずや。政治・経済、もとよりその学を非なりというに非ざれども、これを読みて世の安寧を助くると、これを妨ぐるとは、その人に存するのみ。 ▶続きはこちら

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慶応義塾学生諸氏に告ぐ

慶応義塾学生諸氏に告ぐ

慶応義塾学生諸氏に告ぐ 福沢諭吉 左の一編は、去月廿三日、府下芝区三田慶応義塾邸内演説館において、同塾生褒賞試文ほうしょうしぶん披露の節、福沢先生の演説を筆記したるものなり。 余かつていえることあり。養蚕ようさんの目的は蚕卵紙たねがみを作るにあらずして糸を作るにあり、教育の目的は教師を作るにあらずして実業者を作るにあり、と。今、この意味をおしひろめて申さんに、そもそも我が開国の初より維新後にいたるまで、天下の人心、皆西洋の文明を悦よろこびて、これに移らんとするに急なれば、人を求むることもまた急にして、いやしくも横文字読む人とあれば、その学芸の種類を問わず、その人物のいかんにかかわらず、これを用いたれども、限なきの用に供するに限あるの人をもってす、もとより引足るべきにあらず。 ▶続きはこちら

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D坂の殺人事件

D坂の殺人事件

D坂の殺人事件 江戸川乱歩 それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私は、D坂の大通りの中程にある、白梅軒はくばいけんという、行きつけのカフェで、冷しコーヒーを啜すすっていた。当時私は、学校を出たばかりで、まだこれという職業もなく、下宿屋にゴロゴロして本でも読んでいるか、それに飽ると、当てどもなく散歩に出て、あまり費用のかからぬカフェ廻りをやる位が、毎日の日課だった。 ▶続きはこちら

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字余りの和歌俳句

字余りの和歌俳句

字餘りの和歌俳句 正岡子規 短歌三十一文字と定まりたるを三十二文字乃至三十六文字となし俳諧十七字と定まりたるを十八字乃至二十二三字にも作る事あり。これを字餘りと云ふ。而して字餘りを用うるは例外の場合にて常に用うべきにあらずとは歌人俳諧師等が一般に稱へ來れる掟なり。されど此掟程謂いはれなき者はあらじ。 ▶続きはこちら

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能因法師

能因法師

能因法師 岡本綺堂 藤原時代。秋のなかば。 洛外の北嵯峨。能因法師の庵いほり。 藁葺の二重家體にて、正面の上のかたに佛壇あり、その前に經卷をのせたる經机を置く。 佛壇につゞきて棚のやうなものを調しつらへ、これに歌集または料紙箱れうしばこ、硯など色々あり、下のかたは壁にてその前に爐を設く。下のかた折曲りて竹の肱掛窓ひぢかけまどあり。家體の上のかたは奧の間のこゝろにて出入の襖あり。庭に面せる方は簾をたれたる半窓にて、窓の外には糸瓜へちまのぶら下りし棚あり。庭の下のかたに低き垣の枝折戸、垣のほとりには秋草咲けり。垣の外には榎の大樹あり。うしろには森、丘、田畑など遠く見ゆ。 ▶続きはこちら

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もう軍備はいらない

もう軍備はいらない

もう軍備はいらない 坂口安吾 原子バクダンの被害写真が流行しているので、私も買った。ひどいと思った。 しかし、戦争なら、どんな武器を用いたって仕様がないじゃないか、なぜヒロシマやナガサキだけがいけないのだ。いけないのは、原子バクダンじゃなくて、戦争なんだ。 東京だってヒドかったね。ショーバイ柄もあったが、空襲のたび、まだ燃えている焼跡を歩きまわるのがあのころの私の日課のようなものであった。公園の大きな空壕の中や、劇場や地下室の中で、何千という人たちが一かたまり折り重なって私の目の前でまだいぶっていたね。 ▶ 続きはこちら

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帽子のない水兵

帽子のない水兵

帽子のない水兵 田中貢太郎 まだ横須賀行の汽車が電化しない時のことであった。夕方の六時四十分比ごろ、その汽車が田浦を発車したところで、帽子を冠かぶらない蒼あおい顔をした水兵の一人が、影法師のようにふらふら二等車の方へ入って往った。 (またこの間の水兵か) それに気の注ついた客は、数日前にもやはりそのあたりで、影法師のようなその水兵を見かけていた。その時二等車の方から列車ボーイが出て来た。 「君、この間も見たが、今二等車の方へ往った水兵は、なんだね」 列車ボーイは眼をくるくるとさした。 ▶ 続きはこちら

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六日間

六日間

六日間 (日記) 與謝野晶子 三月七日 机の前に坐ると藍色の机掛つくゑかけの上に一面に髪の毛の這つて居るのが日影でまざまざと見えた。私はあさましくなつて、何時いつの間にか私の髪がこんなに抜け零こぼれて、さうして払つてもどうしても動かずに、魂のあるやうにかうして居るのかとじつと見て居た。さうすると落ち毛が皆一寸五分位の長さばかりであるのに気がついた。また昨日きのふの朝八峰みねの人形の毛が抜けたと云つて此処ここへ来て泣いて居たのを思ひ出した。頭が重い日である。 ▶ 続きはこちら

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