猫

猫 宮沢賢治 (四月の夜、とし老とった猫が) 友達のうちのあまり明るくない電燈の向ふにその年老った猫がしづかに顔を出した。 (アンデルゼンの猫を知ってゐますか。 暗闇で毛を逆立てゝパチパチ火花を出すアンデルゼンの猫を。) ▶ 続きはこちら

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ワーニカとターニャ

ワーニカとターニャ

ワーニカとターニャ 宮本百合子 黄色いモスクワ大学の建物が、雪の中に美しく見える。凍った鉄柵に古本屋が本を並べてる。 狭い歩道をいっぱい通行人だ。電車が通る。自動車が通る。 モスクワ大学のいくつもある門を出たり入ったりする男女の学生の年は、まるでまちまちだ。 九年制の統一労働学校(小学校)を出ていきなり入ったらしい子供っぽい青年たち、娘、カセ杖ついて、重そうな書類入鞄を下げ相当ふけた男女学生もいる。(革命の国内戦やヨーロッパ戦争で負傷した人々だ。)みんなは笑ったり、喋ったり、または誰も対手にしないで片手をポケットへつっこみ、ズンズン歩いてく皮帽子の女学生もいる。 ▶ 続きはこちら

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癩

癩 島木健作 新しく連れて來られたこの町の丘の上の刑務所に、太田は服役後はじめての眞夏を迎へたのであつた。暑さ寒さも肌に穩やかで町全體がどこか眠つてでも居るかの樣な、瀬戸内海に面したある小都市の刑務所から、何か役所の都合ででもあつたのであらう、慌ただしく只ひとりこちらへ送られて來たのは七月にはいると間もなくの事であつた。太田は柿色の囚衣を青い囚衣に着替へると、小さな連絡船に乘つて、翠巒のおのづから溶けて流れ出たかと思はれる樣な夏の朝の瀬戸内海を渡り、それから汽車で半日も搖られて東海道を走つた。 ▶ 続きはこちら

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闇汁図解

闇汁図解

闇汁圖解 子規 一、時は明治卅二年十月二十一日午後四時過、處は保等登藝須發行所、人は初め七人、後十人半、半はマー坊なり。 一、闇汁の催しに群議一決して、客も主も各物買ひに出づ。取り殘されたる我ひとり横に長くなりて淋しげに人々の歸を待つ。 一、おくればせに來られし鳴雪翁、持寄りと聞いて、々に出で行きたまふ。出がけに「下駄の齒が出て來ても善いのですか」と諧謔一番。 一、一人歸り二人歸り、直に臺所に入りて、自ら洗ひ自ら切る。時にクス/\と忍び笑ふ聲、忽ちハヽヽヽヽとどよみ笑ふ聲。 一、準備出來る迄に一會催すべしとの議出づ。座上柿あり、柿を以て題とす。鳴雪翁曰く十句の時は屹度句が失せますと。果して然り。 一、飄亭、青々後れて到る。物無く句無し。 ▶ 続きはこちら

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マードック先生の『日本歴史』

マードック先生の『日本歴史』

マードック先生の『日本歴史』 夏目漱石 上 先生は約やくの如く横浜総領事を通じてケリー・エンド・ウォルシから自著の『日本歴史』を余に送るべく取り計はからわれたと見えて、約七百頁の重い書物がその後日ひならずして余の手に落ちた。ただしそれは第一巻であった。そうして巻末に明治四十三年五月発行と書いてあるので、余は始めてこの書に対する出版順序に関しての余の誤解を覚さとった。 ▶ 続きはこちら

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葉

葉 太宰治 撰えらばれてあることの 恍惚こうこつと不安と 二つわれにあり ヴェルレエヌ 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 ノラもまた考えた。廊下へ出てうしろの扉をばたんとしめたときに考えた。帰ろうかしら。 私がわるいことをしないで帰ったら、妻は笑顔をもって迎えた。 ▶ 続きはこちら

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泣いてゐるお猫さん

泣いてゐるお猫さん

泣いてゐるお猫さん 村山籌子 ある所にちよつと、慾よくばりなお猫ねこさんがありました。ある朝、新聞を見ますと、写真屋さんの広告が出てゐました。 「写真屋さんをはじめます。今日写しにいらしつた方の中で、一番よくうつつた方のは新聞にのせて、ごほうびに一円五十銭差し上げます。」 お猫さんは鏡を見ました。そして身体からだ中の毛をこすつてピカピカに光らしました。そして、お隣のあひるさんの所へ行きました。 ▶ 続きはこちら

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台川

台川

台川 宮沢賢治   〔もうでかけましょう。〕たしかに光がうごいてみんな立ちあがる。腰こしをおろしたみじかい草。かげろうか何かゆれている。かげろうじゃない。網膜もうまくが感かんじただけのその光だ。 〔さあでかけましょう。行きたい人だけ。〕まだ来ないものは仕方しかたない。さっきからもう二十分も待まったんだ。もっともこのみちばたの青いいろの寄宿舎きしゅくしゃはゆっくりして爽さわやかでよかったが。 これからまたここへ一遍いっぺん帰って十一時には向むこうの宿やどへつかなければいけないんだ。「何処どごさ行ぐのす。」そうだ、釜淵かまぶちまで行くというのを知らないものもあるんだな。〔釜淵まで、一寸ちょっと三十分ばかり。〕 ▶ 続きはこちら

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最後の一句

最後の一句

最後の一句 森鴎外 元文げんぶん三年十一月二十三日の事である。大阪おおさかで、船乗り業桂屋太郎兵衛かつらやたろべえというものを、木津川口きづがわぐちで三日間さらした上、斬罪ざんざいに処すると、高札こうさつに書いて立てられた。市中至る所太郎兵衛のうわさばかりしている中に、それを最も痛切に感ぜなくてはならぬ太郎兵衛の家族は、南組みなみぐみ堀江橋際ほりえばしぎわの家で、もう丸二年ほど、ほとんど全く世間との交通を絶って暮らしているのである。 ▶ 続きはこちら

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黄色な顔

黄色な顔

黄色な顔 THE YELLOW FACE コナンドイル Conan Doyle 三上於莵吉訳 私は私の仲間の話をしようとすると、我知らず失敗談よりも成功談が多くなる。無論それらの話の中では、私は時によっては登場人物の一人になっているし、でなくても私はいつも深い関心を持たせられているのだが、――しかしこれは何も、私の仲間の名声のためにそうするわけではない。なぜなら事実において、私の仲間の努力と、多種多様な才能とは真しんに称讃すべきものではあったけれども、それでもなお、彼の思案に余るような場合があったからだ。ただどうかしてそんな場合にぶつかって私の仲間が失敗したような所では、他たの者もまた誰一人成功したものはなく、事件は未解決のまま残されるわけである。けれど時々、ちょっとした機会から、彼がどんな風にしてその真相を誤解したかと云うことが、後から発見されたこともある。私はそんな場合を五つ六つ書き止めておいた。そのうち今ここですぐお話出来るものが二つある。そしてそれはそれらのうちでも一番面白いものである。 ▶ 続きはこちら

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